この目で見たカトマンドゥは、すでに平常に戻りつつあった。

ネパール

ネパール初日の朝。
6時過ぎに起床すると、お手伝いさんがチヤ(ネパール風ミルクティー)を持ってきてくれた。

最近はネパールに来てもホテルに泊まることが多いので、ネパール人のライフスタイルをすっかり忘れていた。ネパール人の朝はこのように一杯のチヤで始まる。これが彼らの朝食だ。この後は午前11時頃にランチのダルバートが出されるまで彼らは何も食べない…..筈だが、今日は日本人のぼくのためにトーストとオムレツをつくって出してくれ、一家で揃って食べた。食パンは一昨日から手に入るようになったという。新鮮なパパイヤが嬉しい。

簡単な(しかしネパール人からみるとヘビーな)朝食を終えると、さっそくかつてカトマンドゥの象徴だった白い塔ダーラハラのある場所へ車でやってきた。郵便局前で車を降りると、目の前にいつも聳えている筈の白い塔が、今日はやはりなかった。

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ダーラハラは、建物の高層化が進む以前はカトマンドゥ盆地のどこからでも見ることができる白い塔だった。インドからの長距離バスに十数時間も揺られてきて、ようやく最後の峠を越えてカトマンドゥ盆地に入ったときに遠くに白く輝いていたのがダーラハラ。20世紀に初めてカトマンドゥを訪れた人なら、あの塔を初めて見た感激をきっと覚えているだろう。

ダーラハラからバザールを抜けてダルバール広場方向へと歩くと、旧王宮の一部が見えてきた。

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ああ、屋根が落ちている……と嘆息しているところへ、リクシャが「サイトシーイング」と声を掛けてきた。ふだんなら「観光地を巡らないか」と言うところを今日は「被災地を巡らないか」などと言っていて、さすがネパール人は逞しく生きていると感心した。そうだよね、震災だからといって日々の仕事を休むわけにはいかないしね。

王宮の前では消防隊みたいな人たちが記念写真を撮っている。

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そして王宮前の広場(バサンタプル)では倒壊した家から避難してきた人たちがテントを張っている。

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これらのテントはバーレーンから送られたもので、そう書いてあった。

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しかし、実際にはカトマンドゥ市内の避難テントの多くはすでに撤去されている。地元の人は、いつまでもテントに暮らしていられないから適当なアパートを探して移っていったようだ。ここまで来る途中に車窓から見た、日本のテレビによく放映されていたトゥンディケル広場の避難テント群も、ぼくが来たときには数が少なくなっていて、正直いって拍子抜けしてしまった。

バサンタプルに面して建つ安宿、ホテルスガットの門が開いていたので覗いたらオーナーがいて、明日から営業再開するために全館清掃中だという。「見てくれ、親父が建てたこのホテルは古いが、壁がこんなに厚くてしっかりしている。震災にもビクともしなかった」と自慢げだった。「カトマンドゥのほとんどの宿はもう営業再開している。うちもいつまでも休んではいられない」とのことだった。

バサンタプルの向こうは、いよいよダルバール広場。
世界中のテレビ局でこの広場の寺院が崩壊する様子が繰り返し放映された。ネパールの象徴とも言える世界遺産の広場はどうなっているだろうか。

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テレビで見たとおり、かつてあったいくつもの寺院は基壇を残して消滅してしまった。やはりこれが現実の風景であった。

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ここには、ネパール最古の建築物と推定されるカスタマンダップ堂があったのだが、それも崩壊してしまった。首都カトマンドゥの名の由来になったとも伝承される由緒ある堂だったのだが。

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唯一残ったシヴァ パールヴァテイ寺院の窓から、シヴァ神とパールヴァティ妃が下界を見下ろしていた。

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今回の震災が起きたのは、不幸中の幸いなことに土曜日の午前11時55分だった。ネパールは土曜が公休日(日曜は平日)なので学校やオフィスが休みだったため子供たちにほとんど被害がなかった。これがもし平日だったら、子供を心配する親たちでパニックになったかもしれない。けれども地震が起きたときは家族が一緒にいたため、取り乱す人はほとんどいなかった。ネパール人に言わせれば、それはシヴァ神の守護によるものなのだそうだ。

街の方々で聞いたが、旧王宮とダーラハラは日本政府が再建すると表明しているらしい(未確認)。ネパール人の希望が噂になっているだけではないかという気がするが、本当だったら日本政府の素早い意思表明に敬意を表します。

閉鎖されたダルバール広場を北側から眺める。

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ネパール人はこの辺りをハヌマンドカと呼ぶ。カトマンドゥの世界遺産として貴重な空間だったし、ツーリストにも人気のエリアだった。
ぼくがこうしてダルバール広場を眺めている間に、広場の交通が制限され始めた。どうやら広場は立ち入り禁止になるらしい。ネパールではよくあることだが、事前発表もなく突然道路が閉鎖されたため、通過しようとして戸惑っているネパール人がたくさんいた。けれども皆、けなげに事態を受けとめて、来た方へ戻っていった。

いつもと変わらぬ賑わいのインドラチョウク

ハヌマンドカの北側には、6方向からの道が集まり往来が激しいインドラチョウクがある。ダルバール広場とうってかわって、インドラチョウクの賑やかさは以前とほとんど違いがなかった。

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ここでも、いつものようにリクシャが熱心に客引きをしている。

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インドラチョウクからアッサンチョウクに至る小路は、旧市街で最も賑わっているショッピングエリア。ツーリストも皆ここを通る。

アッサンはほとんど被害がなかったらしく多くの店は普通に開いている。この辺を歩いている分には大震災の直後だと気がつかないかもしれない。

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お菓子屋さんもお客で一杯。

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アッサンから、外国人向けのホテルやレストランが集まるタメル地区へ行った。タメルの店も多くが営業している。もともと5月はオフシーズンだからツーリストは少ないが、歩いている人はそれなりにいて西洋人カップルが普通に歩いている。

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もっとも、今いる西洋人はもともとツーリストであっても現在はボランティアとして滞在している人が少なくないようだ。地方の被災地で配るために食料を買い込んでいる若い西洋人の姿を何度か見かけた。そして、みんなで集まってトラックをチャーターして出発していった。なかなか立派である。日本の若い人もネパールへ来てボランティアにトライしてほしいな。きっと世界が広がると思うよ。

有名なカトマンドゥゲストハウスはインドネシアの救援隊が滞在していて、前を通ったら懐かしいインドネシア語が聞こえてきた。近くのカフェで一休みしていたら、隣の席はトルコ人の救援隊の皆さんがくつろいでいた。

こうして街を一周すると、カトマンドゥ市内に限っていえばテレビで報道されたイメージと違ってほとんどの建物は残っている。というより、壊れた建物がごく少数であることが分かる。建築専門家がボランティアで家々を巡り耐久性のチェックをしているが、居住不適当な家屋は1%にも満たないという。表通りの自動車の交通量はすでに平常と変わりがないし、エリアにもよるが多くの商店は営業を再開している。

世界遺産のダルバール広場のように、崩壊した古い寺院がフォトジェニックだから繰り返し報道されているが、一般の家々に大きな被害は少ない。マスコミは被害のないところを映さないから、平常なところがあることは伝わらない(注:ここで書いたことはカトマンドゥ市内の状況で、北方の山岳地帯の村々は被害が大きく状況がまったく異なるそうだ)。

カトマンドゥのイトーヨーカドー、バートバティニの1号店。
ぼくはこの近くの家に宿泊している。

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レジの混雑振りはすごい。
みんなショッピングに余念がない。駐車場は満杯だし、車内は購入した品々で一杯になっている。

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歩き疲れたのでそろそろ家に帰る。
昨日見たときは震災で壊れたままだった道端のレンガ造りの塀が、今日はもう再建されていた。一日で完成するとはネパール人のやることも意外に速いなと感心した。

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サンデャの家の隣家では、結婚式が行われていた。
本来なら3日連続で行われるはずだったパーティーが1日になってしまったものの、延期になるわけでもなく結婚式はハッピーに進行したという。

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サンデャ夫妻も服をプレスして出席していた。この夫妻は、夫は元軍人でファッションに無頓着だが、妻は女性向け服飾店を経営していてバッチリおめかししていた。

おめでたいことだ。人間の営みは素晴らしいね。
すでにカトマンドゥの人々は震災後の動揺を乗り越え、平常に服しつつあるようだ。

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