一年の締めくくりは、ミシュラン3つ星の高尾山へ年末詣

日本

高尾山へ行ってきたよ。高尾山は、東京都民にとっては「小学校か幼稚園の遠足で行ったことのある山」みたいに舐められている存在だけど、自然の宝庫と古刹薬王院のコンビネーションがミシュランの3つ星をとったことで世界的に有名な山だ。舐めたらいかんぜよ

高尾山への登り口の1号路

京王新宿線の終点、高尾山口駅で電車を降りて、冬枯れた景色を歩きながら右の1号路へ登り始める。高尾山はルートがいくつもあって1〜6まで番号が振られているけど、1号路は自動車が通れる道だから歩きやすい。

高尾山の1号路は舗装されていて歩きやすい

この道を自動車で通れるのは山頂付近にあるお寺やお店関係者だけ。ほとんど歩行者用の石畳の参道という感じで、登山道というほどでもない。途中、石畳の道から分かれて山道っぽいところを歩けるようにもなってる。

高尾山1号路の階段

らくちんな道をゆっくり登ると、50分ほどで都心のビル群から東京湾までを見渡すかすみ台展望台に到着。ケーブルカーに乗れば下からここまで6分(待ち時間を除いて)しかからない。なんて清々しい青空だろう。

高尾山の展望台から東京の都心が見える

ここは標高485mと大したことない高さながら、横浜や、江ノ島、遠く房総半島も見える。東京スカイツリーの高さ634mだから、ビル群のなかに聳えるあの塔の方が高いのだなあ。そうは見えないけど。

霊気に満ちた山道を歩く

かすみ台展望台から少し歩いて『霊気満山』と書された扁額が掲げられる浄心門へ。この先は古刹薬王院の寺域。薬王院は都内で7番目に初詣客が多く、山の上にありながら柴又帝釈天よりも正月の人出が多いお寺だから、明日からの三が日はこの道はすごく混雑すると思う。

『霊気満山』と書された扁額が掲げられる
浄心門

浄心門から先は、直進すれば石畳の参道を歩いて薬王院山門へ8分ほど。この石畳の道を歩く人はほとんどが街着で来ている。

浄心門から4号路へ

参道とは別に、浄心門の左右に山道があって、そちらをとると薬王院を迂回して山頂へ直行できる。右の4号路は、こんな山道っぽい道。

4号路の道も歩きやすい

山道といっても、4号路は近隣の幼稚園年長組の遠足コースだからそんなに大した道ではないです。起伏のある公園を歩くみたいなもので、町から出たことがない人には手軽にアウトドアな雰囲気を味わえる人気コース。ぼくは、よく覚えてないけど小学3年生頃の遠足でここを歩いたと思う。いやぜんぜん覚えてないなあ。4号路は途中に吊り橋がある。

4号路には吊り橋がある

高尾山が「豊かな自然に恵まれた」と枕詞がつくのは伊達ではなくて、この山に自生する植物はなんと1600種を超え、その数は日本と同じ島国の英国全部とほぼ同じ。高尾山が多いのか、英国が少ないのか、どっちか分からないけどスゴイ。

なんでも、高尾山は関東の暖温帯と冷温帯の境目にあって、北側と南側は植生がずいぶん異なるのだそうだ。

高尾山 140

自然が豊かで、霊気に満ちた山、高尾山を満喫できる山道であった。

山頂に到着

こうして山道を40分ほど歩いて山頂に到着。

高尾山の山頂は人が多かった

高尾山は標高599mだから、山頂まで来てもまだ東京スカイツリーより低いのですなあ。西に雲がかかってて富士山が半分だけ見える。午前の早い時間にここにくれば富士山もよく見えるはず。12時半だったので、山頂のそば屋で山菜蕎麦をいただきました。

時透無一郎(鬼滅の刃の柱のひとり)の出身地の景信山は、高尾山のすぐ北の山。1時間ほどで歩いていけるからそっちへ行ってもいいのだけど、今日は5号路を通って薬王院へ。

高尾山 薬王院へお参り

高尾山薬王院有喜寺(たかおさんやくおういんゆうきじ)は、永和元年(1375年)に京都の醍醐寺から高僧の俊源が入山して、お滝行のさなかに修験道の神である飯縄大権現(いづなだいごんげん)を感得して開かれたという古刹。

薬王院にお参りする人々

年末詣の人もそれなりに多いが、正月三が日はこんなものではなく、毎年30万人近くがお参りに来るという。今年は状況からそれより少ないと思うけど、結構混雑しそうだね。ちなみに、高尾山の頂上は31日夕方〜1日早朝は立ち入り禁止になっていた。こちらの薬王院は制限なし。

本堂の護摩堂の上方にある飯縄大権現社もお参りの人が並んでいる。

高尾山薬王院飯縄大権現堂にお参りする人々

飯縄大権現は天狗の姿をしていることから、高尾山といえば天狗が有名だ。

天狗の像

飯縄大権現は、不動明王の化身であり、ガルーダ・ダキニ・ガネーシャ・サラスワティー(迦楼羅天・荼枳尼天・歓喜天・弁才天)の五尊の神仏の力を合わせもつ神さま。ご神徳と御利益がありそうだね。薬王院では本堂と権現堂の両方に祀られている。

戦国には武将にも人気が高く、上杉謙信は飯縄大権現像を兜の前立てにしていたし、武田信玄は出陣の際に権現像を持参していた。両武将が矛を交えた川中島の戦いで勝敗が決まらなかったのも無理もない。

薬王院の奥の院の富士浅間社

薬王院の奥の院には、富士浅間社が鎮座している。かつて富士山へお参り登山に行く江戸の人々は、甲州街道を通りすがら薬王院に立ちより、ここで浅間社を詣でてから旅を続けるのが習わしだったそうだ。玉垣の右側の最初の柱に北口本宮富士浅間神社と記されているのが見えるだろうか。富士山に甲斐方面から登るときに1合目とされる富士吉田市にある神社だ。

富士山は、現在ではみな車で5合目まで乗りつけて登り始めるが、富士スバルラインが開通するまでは富士吉田の北口本宮富士浅間神社から歩き始めるものだった。ぼくは来年、この神社を通って富士山頂へ登りたいと思っていたところなので「よろしくお願いします」と神々にご挨拶ができてちょうどよかった。

ふと見上げると、もう梅の花が咲いていた。新春の雰囲気が漂ってるけどちょっと早いかなあ。

高尾山の薬王院で梅の花が咲いていた

高尾山薬王院は、日本人が古くから繋いできた神仏混淆の伝統を守ってきた寺院。これこそ古き良き日本の姿だと感動しながら、石畳の参道を通って帰路につくことする。

高尾山薬王院への参道

さっきは大勢の人がいた かすみ台展望台は、午後2時を過ぎたばかりだというのにほとんど誰もいなかった。

高尾山の展望台から

風がでて寒い。かすみ台展望台からは、石畳の道を通らずに、琵琶滝までの急峻な山道を下ることにした。急峻といっても大したことないですけどだいたい40分ほどかな。

海外へ行かなくなって2年が過ぎようとしている。こんなに長いこと日本に居続けるのは久しぶりのこと。ぼくは環境が違う国や地域を行ったり来たりして人生を過ごしていたから、季節が移り変わるということを感覚的に忘れていた。今年は四季の移ろいを実感できて、いい機会だったな。

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Posted by ariga masahiro