世界でいちばん美しい渓谷、ランタンへのトレッキング【前編】

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英国の登山家ビル ティルマンが「世界で最も美しい谷のひとつ」と呼んだランタン渓谷。ぼくは5日間のタマンヘリテイジから続けて歩いているため、ランタン旅録はいきなりDay6.から始まる。シャブルベシから歩き始める通常の日程なら、この日はDay2.にあたる。タマンヘリテイジ トレッキング旅録はこちら

Day6. ランタンで慰霊の祈りを捧げる
ラマホテル〜ランタン村

ラマホテル朝7時の気温2.6度、標高2340m、Nepal Telecom Cellデータ通信圏外

今日からランタン渓谷をトレッキング。

泊まっていたラマホテルは、そういう名前の立派なホテルがあるわけではなくて、その昔ラマ(高僧)が運営する山荘があったことからいつの間にか地名になったところ。

ここはシャブルベシからの路の合流点に近いこともあって宿泊者が多く、食事時のストーブの周りは賑やかだった。タマンヘリテイジを歩いていたときは、どの宿も宿泊者はぼく1人だったが、ラマホテルでは10人以上のトレッカーが泊まっていた。

ランタン渓谷を歩き始める

さて、朝8時半にラマホテルを出発してしばらくは、森林のなかを緩やかに登り道を歩くのだが、そのうち周囲の樹木の高さが低くなってくる。

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標高3000mを越えると、ぼくの背より高い木は無くなった。だからこの先は見通しが良くなってくる。渓流ランタンコーラはきれいな碧色をしていた。

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崩れた氷河で埋まった村

午後1時過ぎ、ランタン村が見えてきた。

ランタン村は、2015年4月25日の大地震で、断崖上方の氷河が崩れて巨大な地滑りがおき、村が埋もれてしまうという悲劇が起きた。

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数百メートルの幅に渡って積もった土砂を見ると感慨深い。

かつてこの場所に十数軒のトレッカー向けロッジがあった。この土砂の下には、ネパール人210人、外国人トレッカー50人が今も埋まったままだ。

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正面にはツェルゴリ(4984m)、ガンチェンポ(6387m)が見えた。

土砂の上をキャラバンが通る。

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トレッカーも通る。

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土砂を過ぎた所にはチョルテン(チベット式の仏塔)が建てられていた。地震前はここにゴンパ(仏教僧院)があったが、崩れてしまったそうだ。

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チョルテンのとなりには、震災犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑があった。

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地元のランタンVDCの犠牲者が圧倒的に多く175人にのぼっていた。ランタン以外からはガイド・ポーター・看護婦が22人、外国人トレッカー50人など、合わせて252名の名前が石板に刻まれていた。

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このほかに警察官の死亡者もいるのだが、なぜか慰霊碑にその名は刻まれていない。

もうひとつのランタン村

ところで、よく「ランタン村が土砂に埋まって全滅した」と言われるが、その表現は半分しか正しくない。

というのは、震災前のランタン村は2つの集落に分かれていた。ひとつはチベット人が住む古い村で、そちらには土砂崩れは及ばなかった。

そのチベット村から300mほど離れて外国人トレッカー向けのロッジが集まって建っていた。土砂に埋まったのはこのロッジ村。

土砂崩れに埋まらなかったとはいえ、チベット人の家は緩衝材もなく石を積み重ねただけの簡単な構造だったので、ほとんどが倒壊してしまった。かつての村のメインストリートはこんな様子になっていた。

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倒壊したチベット村で、洗い物をするおかみさん。その姿がものがなしく感じられる(洗い物自体はごく普通の光景だが、周囲の光景が悲しい)。

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生き残った村人もいたが、家族を失った哀しみからこの地を去ったりして、大被害を受けたことには違いがない。

現在はトレッキングに支障は無い

大被害を受けたとはいえ、現在のランタン村はロッジが再建されているし、トレッキングコース上の他の村は震災の影響があまりなかったので、今のランタン渓谷はぜんぜんトレッキングに支障はない。

現時点ではロッジは12軒も営業していて、いずれも設備が新しいから震災前よりも快適に滞在できるようになったと評判だ。そのぶん、物価も上がって痛し痒しなんだそうだけど。さらに計画中のものが多数あるから全部完成したらそうとう多くなりそうだ。

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ぼくの泊まった部屋。

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ネパールのトレッカー用ロッジはどこもこんな感じ。

木製のベッドにマットレスが敷かれ、シーツが掛けられている。この上に持参の寝袋を広げて眠りにつく。

掛け布団も用意されているが、中綿は単なる木綿だから重いしそれほど暖かくない。ぼくは掛け布団を使ったことはない。

奇跡的に残った家

土砂崩れからわずか数メートル離れて奇跡的に無事だった、断崖沿いの家。

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大きな家のなかにいた子供たち5人はキズひとつ無く無事だったという。しかし両親はロッジで働いていて2人とも死亡してしまった。

ランタン村に電気はなかった

ランタン渓谷の村々には、数年前にキャンジンゴンパにできた水力発電所から電気がきているのだが、何しろ氷河湖の水力なんで冬は凍ってしまい、発電することができない。

12〜2月のランタン村(もちろんキャンジンゴンパも)には小さな家庭用ソーラー発電機にしか頼れない。そのため、ダイニングルームにかろうじてLED電灯がつくぐらいで、個室に明かりはないし、スマホやカメラのバッテリー充電もできなかった。

Day7. キャンジンゴンパに到着
ランタン村〜キャンジンゴンパ

ランタン村朝7時の気温1.4度、標高3514m、NTCデータ通信圏外

ランタン村の朝は寒かった。

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ランタン村から20分歩くと、ここにもチベット人の村、ムンドゥがある。

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ランタン村から近いにもかかわらず、ムンドゥ村は震災の影響を受けず、チベット人の家は以前の佇まいを残していた。屋根も落ちていないし、被害者もほとんどいないという。地面の揺れ方がどうしてこれほどまでに違うのだろうか。

この辺に来ると、ヤクが放牧されているのを見るようになる。高地に来た実感がしてくる。

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ムンドゥ村を過ぎると、大岩に寄りそうようにして建つ茶店があった。

この店の名は…

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なんと…HARD ROCK CAFE !

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窓ガラスに貼られたシールを見ると、人気のカフェみたいだね(笑)。立ちよってみたかったのだが、あいにくロサール休暇か、オフシーズン休業でクローズしていた。たいへん残念だった。

さて、HARD ROCK CAFEをすぎて数分歩くと、こんどはトタンで急ごしらえしたような茶店がぽつんとあった。せっかくなのでこちらに立ち寄ることにした。

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先ほど通り過ぎたムンドゥ村のチベット人夫婦が営んでいる茶店だった。ムンドゥ村は崖に近くて、万一地崩れがおきると怖いから、こちらに家を建てて引っ越してきたのだそうだ。

仏壇にお供えをして、香を焚いてロサール(シェルパ暦の新年)を祝っているおじさん。ダライラマ14世の写真が飾られている。

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新年のお祝いのお菓子をいただいた。

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ロサールの間、泊まっていた宿ではお菓子がふるまわれた。

震災前は、ロサールは一週間以上前から大家族が往来して、食事をしたりお喋りしたりで、それは楽しい期間だったそうだ。しかし震災後はすっかり様変わりして、核家族で小さく祝われるだけになってしまったという。

空にはヘリコプターが飛んでいる。

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茶店を後にしてさらに30分、正面にチョルテン(仏塔)が見えてきた。路はここで二手に分かれるが、仏塔は必ず時計回りに歩くから、この先は左方向に歩いていくのが正解。

仏塔の左側へ進むと水力発電所があった。その先がキャンジンゴンパ。

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見えてきた、キャンジンゴンパ。

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ここがランタントレッキングの基地になる、小さなロッジ村だ。

つづく。

今日は標高3870mのキャンジンゴンパから、標高4984mのツェルゴリに登る日。 上の写真は2日前にランタン村から撮った写真。中央のピークがツェルゴリ。キャンジンゴンパはツェル...