ピヤン トンガの破壊された壁画が痛ましい

チベット

グゲ王国から北へ20kmほどの山中に、ピヤン、そしてトンガの遺跡がある。

ピヤントンガとひとまとめに呼ばれる石窟寺院群で、かつてピヤンには1000窟、トンガには150窟があったが、例によって文化大革命のときにわざわざやってきた中国人にほとんど破壊され、かろうじていくつかの石窟に曼荼羅を中心にした壁画が残っている。今日は、その壁画を見に来た。

現在、トンガに残っている壁画はわずかに3窟ほど。中国人たちはなんてひどいことをしたのだろう。

この階段を上った先だ。高地なので息がぜーぜーする。

チベットでは、このように遺跡を破壊したのは「宗教戦争」あるいは「外国による攻撃」ということになっている。教科書にはそう書かれているし、新聞雑誌にもそう書いてある。しかし、現地で話を聞けば誰もが「1960年代の文化大革命のときに中国人がやってきて寺院を破壊し、経典を焼き捨て、人々を殺した」と答える。

トンガにあるもっとも壮麗な壁画のある石窟。

そこには壁一面に大きな曼荼羅が描かれている。けれども、これらがなんのための曼荼羅なのか、いつ描かれたものかは分かっていない。おそらくは11世紀頃に描かれた壁画であろうとされていたが、近年ラサの高僧が来て再調査したところ、その時代の様式とは異なることが確認された。これまでの通説はすべて否定され、わかったことは「何も判らない」ということだけだった。

実は、かつてこの部屋に置かれていた経典にはその成りたちが記録されていたはずだが、それらはすべて1960〜70年代に中国人が焼き捨ててしまったのだ。

今、チベット人は自分たちの伝統と文化を守ろうとしているが、それがどんなものだったのかよく判らないのだそうだ。大変残念なことだ。

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