ネパール地震、寄付も支援も届かない村の人々

ネパール

カトマンドゥから東北へアルニコハイウェイを車でひた走る。充分なスピードがだせるし道路状態に問題ないが、途中で通り過ぎるバザールは無残な姿になっていた。

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地震で被害の大きかった地域へ向かっているのだと実感する。

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今回は、タメルにある旅行代理店ヒマラヤンアクティビティーズのスタッフ2名がシンドパルチョク郡の実家に帰省するので、同行させていたたきました。

被害の大きいシンドパルチョク郡へ

途中から分岐して車はジリ(エヴェレスト)方面へ向かう。
ジリへの道もまた舗装されていて快適に走れるが、さらに分岐して田舎道へと入るとダートになった。石だらけのでっこぼっこの道で、乗用車でこれ以上行くのは無理なので、途中の峠に車を置いて、あとは歩くのかと思ったらバイクが4台で迎えに来てくれた。

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標高2400mの丘に広がる農村。

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この村出身のネワール人の大家族が、年に一度、一族出自の地に集まって氏神さまに礼拝するデワリという祭りがある。デワリは主にネワール人のしきたりのようだが、人によって「どの民族も同じ事をする」「ネワールだけがする」「ヒンドゥー教徒がする」と違う答えが返ってくるからよくわからない。ま、ネパールではありがちなことだ。なお、インドのデワリ(ネパールのティハール)とはまったく別の祭礼である。

おめかしして集まる女性たち。

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ヒマラヤンアクティビティーズの賄い係の実家はこちら。
シンドパルチョク郡は地震の被害が特に多い地域で、村の家もダメージが大きいと聞いていたが、結構ちゃんとしているではないか。

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と思ったが近くでよく見るとトタンや木材が新しい。

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実は、この家は最初の地震で大破し、壁と床の一部が残っているだけなのだった。地震後にトタンと木材を都合して、村人が集まって家を応急修理して、とりあえず生活できるようにしたのだという。

応急修理ということだが、電気も引かれているし、外観は結構ちゃんとしている。この村の家はほとんどがこのように村人たちが互いに修復し合い、遠目にはどれもちゃんとした家に見える。ネパールにはこれよりも安普請の家は普通にある。

そういえば3週間前に、救援活動中の米軍のオスプレイが着陸しようとして民家の屋根を吹き飛ばしたと日本で問題になっていたが、ネパールの山地の民家はただトタンを被しただけの屋根の家が少なくない。上空から見ても安普請さは分からないから、垂直離着陸機が近寄って屋根を吹き飛ばすことはありそうなことだ。パイロットが充分に注意すべきことではあるが、救援活動中の失敗談を大げさにあげつらうのはどうかと思う。

家に到着するや、さっそくご飯が振る舞われた。

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この家から100mほど離れた場所に、一族の聖なる木をご神体とする祠がある。

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聖なる木とはサンダルウッドだと説明されたが違う気もする。

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この祠で何か儀式があるらしい。しかし儀式は外部の者には見せられないそうだ。デワリに参加しに来たのに、これでは参加したことにはならないのではないか、と思ったけど一緒に食事が出来ればそれでよいのだそうだ。

震災後は経済的にも気持ち的にも大変な状況にあるはずだが、こんなときこそ一族が集まって祖先に感謝を捧げるのだそうだ。今日はシュレスタ姓の人々が全部で16家族が集まるということだが、それが全部で何人になるのかわからない。一族のうち、カトマンドゥ盆地へ出稼ぎにいっている人が約3割いるという。

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おめかしした女の子。

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デワリはまだ続くが一日ここにいるわけにもいかないので、もう一人別のスタッフの実家へ行くことにする。バイクと車を乗り継いでダートの道を約1時間。

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カトマンドゥからやってきたバスとすれ違った。
こんな田舎道でもバスはよく通る。

着いた先は標高2200mのタマン族の村で、この村も大きなダメージを受けていた。スタッフのヒラさんもタマン族で、写真右側にある実家は大きく損傷していた。隣にトタンを組み合わせて作った仮設住宅を作り、両親はそこで生活をしている。

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仮設住宅は約25㎡程度あり、中は思ったよりも広々としている。
ちゃんとキッチンもあって食事が作れるし、中央にはソニーのテレビが置かれていて、くつろぎながらテレビを見ることもできる。
しかし窓がないから室内は暗い。風通しが悪いから暑い。

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こうして村へ来ると、思いの外、村の人たちは自助能力が高いというか、すでに仮設住宅を自分たちで作り上げて、生活をしているのに感心した。

カトマンドゥ盆地内では政府の援助をアテにする被災者が少なくないが、地方の村ではどうせ援助はこないから自分たちで何とかしているのだそうだ。

ヒラさんの実家

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庭先を歩いていたら、「日本へ行ったことがある」という男性が話しかけてきた。日本のNGOが近くに学校を作っていて、その関係で数年前に日本に招かれたのだとか。皇居や大仏の思い出を語っていたが、同じ話を何度も繰り返すのでヘンだと思ったら酔っ払っていた。

ネパールの田舎は酒癖が悪い人が多いのだけど、地震後は昼間っから酔っ払っている人も結構いるらしい。酒で気を紛らわせているのだね。

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