【一億人死んでも構わない】中国人の命は軽い

中国

1937年から1945年まで続いた日中戦争の時代に、およそ1000万人の中国人が犠牲になったと言われている。当時の中国は国民党と共産党の内戦中でもあったので、1000万人という数字には中国人同士で殺し合った死者が多く含まれているのだが、何にせよ痛ましいことだ。

この頃、中国には厄災のはずの日本軍の侵略を喜ぶ男がいた。 毛沢東である。

日本軍の侵略開始前から、毛沢東に率いられた中国共産党は国民党政府に対する武力闘争で苦戦をしいられていた。毛が考えたのは、この中国人同士の戦争に日本軍が参加すれば、国内の混乱を利用して共産党に有利な状況を作り出せるだろうということ。

卓越した戦略家ならではの発想だ。そして共産党は日本軍を誘い出すことに成功し、日本は第二次世界大戦の泥沼にはまってった。

目的を果たすためなら手段を選ばない

やがて日本が戦争に敗北して中国から撤退すると、国民党軍と共産党軍の内戦が激化した。劣勢の国民党関係者約5000万人が難民となるも、共産党軍の度重なる攻撃を受けてみんな死んでしまい、海を隔てた台湾へ逃げ込めたのはわずか200万人。25人に1人の割合でしかなかった。

1948年に中華人民共和国が建国されて、ようやく国土に平和が訪れるかと思えばそうはいかなかった。

激貧国の中国が、3年後に世界第2位の経済大国になると宣言して毛沢東が発動した大躍進運動は、無理な経済計画が社会の大混乱を引き起こし、1958年からの3年間でおよそ6000万人の餓死者を出した。

中国人が一億人死んでも構わない

その膨大な死者数を報告された毛沢東は「1億や2億死んでもどうということはない」と語ったという。さすがスケールが大きい男だ。

大躍進運動が大失敗に終わったため失脚の可能性を感じた毛沢東は、今度は文化大革命という名のクーデターを発動した。寺社宮殿を初めとする古来からの建築はほとんどすべて破壊され、中国文化は大打撃を被った。1966年から1977年までの文革中の死者行方不明者は1000万人とも4000万人とも言われている。犠牲者数の幅が広すぎるのは、それだけ社会が大混乱したという証でもある。よく分からないのだ。

1930年代から70年代までに、「偉大な毛沢東」の指導によって中国ではざっと1億数千万人の人民が死んだ。これは1960年代の日本の総人口よりも多い(1967年の日本の総人口は1億19万人)。

毛の死後、1989年に起きた第2次天安門事件では、数千人が亡くなったという。この時、鄧小平は「中国では100万人が死んでも大きな暴乱とはいえない」と語った。毛沢東の「1億死んでも構わない」に比べるとスケールが遙かに小さいが、これは時代の違いでもあるのだろうか。

人民の命は軽く、共産党の権威は重い

これらの歴史的大事件のなかで、中国で語ってよいのは日本の侵略だけだ。

それ以外の事件は、学校では教えないし、マスコミも語らない。大躍進運動という言葉は出版禁止用語だから、政府はこれを「自然災害」と呼んでいる。失政で6000万人が餓死したというのに、一体なにが「自然災害」だろうか。

中国政府の言う「正しい歴史認識」とはいったい何のことだろう。それは、事実を重んじることではなく、共産党に都合のいい話を語れということだ。

中国では人民の命は軽く、共産党の権威は重い。

スポンサーリンク