日本と中国の関係は150年前からキホンなにも変わっていないことが判明

中国

帰国しました。
秋の日本は涼しくてちょうどいい気候だね。

それから日本は言論の自由があっていいね。

中国にいる間は、LINEもFaceBookもGoogle+もアクセスできない。スカイプも通じない。一体どうやってコミュニケーションをとればいいの、と泣きたくなる。本当は何も連絡がこないから静かでいいやと思っていたけどね(笑)。もっとも、ぼくは旅行中の3週間程度のことだからそう言っていられるけれど、一生こんな環境にいるのはいやだなあ。

ネット検索もGoogleは繋がらないからYahoo!でするんだけど、うっかり達頼喇嘛(ダライラマ)とか検索したら10分後には公安がやってくるから怖い。道を歩いているチベット人は、公安にスマホのなかみをチェックされて共産党の気に入らない文言が見つかったらそのままどこかへ連れて行かれてしまうそうだ。

まさに恐怖政治の国だ。
そんな国がすぐ隣にある日本の地理的条件は、なかなか厳しいものがある。

東アジアの国際社会は、1885年に福沢諭吉が「脱亜論」を書いたころと実情はほとんど変わっていない。
脱亜論にはこう書いてある。「今までは隣国だからと清国や朝鮮を特別扱いしてきたがそれは止めよう。西洋人が清国や朝鮮に接するのと同じよう国際法に準じて冷静に行動しよう。清国や朝鮮とは外交関係は続けるし、貿易も続けるが、心の中では悪友を謝絶しよう。」さすがは一万円札の方、実体をよく把握した見事な論理だ。

ああ、国際社会は19世紀から本当にちっとも変わっていないのだな。

なお、福沢諭吉は「支那人親しむ可し」として、「日本人は清国人を軽蔑する態度をあらためて、官民ともに清国人に接する重要性を認識しよう」とも書いている。ようするに是々非々で挑むべきだ。情緒に流されず国際法に準じてクールに行動しよう。

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