2011年3月11日 その時、ぼくはインドの上空にいた

インド

昨年の3月11日の朝、ぼくは、ネパールのカトマンドゥにいた。

宿泊していたホテル近くのコーヒーショップで、いつもと同じハニーヨーグルトとコーヒーの朝食をとった。それから10時40分発ジェットエアウェイズ 263便ニューデリー行きに乗るために、車を呼んでトリブバン国際空港へ向かった。チェックインを済ませ、ラウンジで搭乗を待つ間、MacBookProを開いてYahoo!Japanのニュースサイトを見たが、これといって重要な出来事はなかった。ぼくにとっては普段とかわらない一日の始まりだった。恐らく誰にとっても普段と変わらない午前だったことだろう。

ガネーシュ、マナスルなどのヒマラヤ8000m峰を眺めながら、263便はインドの乾いた大地を飛び、一路ニューデリーへと向かった。

263便はなにごともなくインディラガンディー空港に着陸し、新しいターミナルを延々と歩いて出国手続きを済ませると、友人がぼくの到着を待っていてくれた。挨拶をするや、彼は「日本で大地震がおきたそうだよ」と心配そうな顔で言った。インドと日本は3時間30分の時差があるので、すでに日本時間は午後4時をまわっているころだ。

ホテルにチェックインして、テレビを着けたぼくの目に飛び込んできた津波の映像は、衝撃的なものだった。その日はBBCやCNNが一晩中津波の映像を流し続け、ぼくは外出もせずそれを見ていた。

あれから一年経ち、今年の3月11日午後2時43分、ぼくは東京で犠牲者の廻向を祈って過ごした。外の空気は冷たい。一年前もこんな空気だったのだろうか。映像で見た東北では雪が降っていた。寒かったろう。

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2011年3月12日。震災の翌日。

ぼくはガンジス川に沿ってひたすら東へ走る車に乗っていた。1日中、座席に座りっぱなしで疲れたぼくは、平原に落ちる夕陽を見たくて、運転手に言って車を止めてもらった。

道行く人たちが、珍しそうにぼくの方を見ている。このあたりに外国人が来ることは滅多にない。そのうち、ルンギーを着た年寄りが自転車を止めて、ぼくに向かってどこから来たのかと尋ねてきた。

日本からと答えると、「ものすごく大きな地震があったそうですが」と一瞬憂うような表情をしてから言った。「ラジオのニュースで日本のことを聞いたんです。ぼくたちの村では、みな日本人のことを心配しています。あなたは大丈夫でしたか。何ともありませんでしたか」と彼は続けた。

ここは日本から遙か遠いビハール州。彼はおそらく日本がどこにあるのか、どんな景色の国なのかも知らないだろう。ビハールの田舎の人までもが、こうして日本に思いをはせてくれている。この時、ぼくの心は、インド人から分けてもらった優しさでいっぱいになった。どうもありがとう。

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