青いアズレージョが美しい、アレンテージョの修道院に泊まる
モンサントから南へと車を走らせると、テージョ川にさしかかる。
テージョ川は河口は海のように広いが、この辺りは秋川渓谷みたいな感じ。ここで橋を渡ってアレンテージョ地方に入る。アレンテージョは「テージョ川の向こう側」という意味だ。
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コルク樫の林と、下生えの花々が咲く景色は、橋を渡っても変わらない(けれども、村の家は形や色は、少し変化がある)。
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エストレモスからルドンド方面へ、381号線を15kmほど走るとセラ・オサ(オサ山地)を越える。それまで登り道だったのが、尾根を過ぎて一気に下り坂になる。
オサ山地の中腹に、コンベント・デ・サン・パウロ(サンパウロ修道院)がある。
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コンベント・デ・サン・パウロは大変立派な修道院で、敷地も広くて75万坪もある。その歴史は古く、起源は5世紀に遡る。
ゴート族やイスラム教徒支配の時代を乗り越えて、現在の場所に移ったのが16世紀。1755年のリスボン大地震の後に修復され、いまある建物となった。しかしどういう因果か、現在はエンリケ・レオーテ財団がホテルとして経営している。
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正面入口からレセプションへは、いくつもの扉を開けてたどり着く。ホテルに来たというよりも、修道院を訪れている雰囲気だ。ポルトガルの建物らしく、アズレージョ(タイル)が貼られている。コンベント・デ・サン・パウロのアズレージョは美術的にも優れていて、「博物館のようなホテル」と呼ばれる所以となっている
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修道院らしく、長くて薄暗い通路を歩くと、明かり取りの窓がまぶしい。
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庭木がオレンジなのはイスラム教徒の習慣がポルトガルに残ったもの。修道院の正面玄関は柑橘系の葉っぱの匂いで満ちていた。
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中庭に咲いているのは、藤の花房。
紫色の花が満開になる時期は、日本よりも少し早い。
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中庭を囲む廻廊を歩いて、部屋に行ったり、レストランに行ったり。
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夕食用のレストラン。
朝食用のレストランはこことは別の場所にある。こういった大型ホテルでは、夕食と朝食が別々であることが多い。たぶんインテリアと食器が別だから、分けた方が都合が良いのだろう。
夕食注文したのはポルコアレンテジャーナ。
ポルコはポークのこと。豚肉とアサリの炒め物をコリアンダーとレモン汁で和えた料理で、ぼくはこれが大好き。さすがに博物館ホテルのレストランだけあって、味はたいへんよい。
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修道院内のどこを歩いても青いアズレージョが目に入る。
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