そのむかし、日本はポルトガル領だったって知ってた?

ポルトガル

今はひなびたヨーロッパの片田舎のポルトガルは、15世紀までは今よりもっとひなびた国だった。

そのポルトガルが、15世紀に大航海時代が始まると、隣国のスペインと共に地球の各地に兵を送り海洋帝国を築いた。

それまで小さな国に閉じこめられていた人たちが、一転して地球の裏側を武力で領地とするようになった。世界史の大きな転換期である。ポルトガルとスペインは競争しながら世界を領地としていった。そして両国の衝突を避けるために地球を半分に分けて領有する条約を結んだ。トリディシリャス条約といって、高校の地図帳にも載っているから、覚えている人もいるかもしれない。

この条約によって地球に1本の線を引き、緑色はポルトガル領、オレンジ色はスペイン領と決められた。1494年、ローマ法王の承認を得て条約は有効となった。

これによってユーラシア大陸とアフリカ大陸全域、南米の一部がポルトガル領となった。なんとメチャクチャな条約であるが、当時のローマ法王庁は本気でこれを認めている。もちろん、ポルトガルとスペインも本気だった。

ポルトガルが日本征服

日本はポルトガル国王の征服に属する」と記された公文書が残っている。16世紀のイエズス会宣教師が書いたものだ。一方、スペイン人宣教師はこれを認めず「カスティーリャ=スペイン国王の征服に属する」と主張していた。

上の地図を見ると、ポルトガルとスペインの境として引かれた線は日本の上を通っている。1494年に大西洋に線を引いたときは、地球の反対側の日本のことを知らなかったからだ。

このため16世紀後半になると、日本がどちらの国の領土なのか、当時のポルトガル人とスペイン人のあいだで確執があった。

ときは戦国時代

16世紀後半は、織田信長や羽柴秀吉の厚遇を得てキリスト教が日本で流行していた。宣教師の活躍によって、高山右近などキリスト教に帰依する大名が現れ、順調に布教が進んでいたかのようにみえたが、やがて頓挫した。

スペインがどうやって世界各地を領地化したかを、スペイン人宣教師が自慢して豊臣五大奉行のひとり増田長盛しゃべってしまったのだ。

その方法とは、まずキリスト教を伝える。ある程度の影響力を確保したら現地のキリスト教徒を使って内乱を起こす。そこへ本国から軍隊が到着して一気に併合する。本国の兵力が少なくても、現地人を兵士として活用する作戦である。

それを聞いた秀吉はキリスト教を禁教とし、宣教師を追放した。150年に渡る戦国時代がようやく終わろうとしていた日本にふたたび内乱を起こされてはかなわない。

秀吉の決定は徳川幕府にも引き継がれて、日本はポルトガルと国交断絶。キリスト教はその後300年に渡って邪教と認定されてしまった。それもこれもポルトガル人とスペイン人の宣教師たちの貪欲さがもたらした結末であった。

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結局、日本は外国の領土にはならなかった

あたりまえのことだが、日本はポルトガル領にもスペイン領にもならなかった。その理由は日本の軍事力が優れていたからだ。16世紀末には、世界の鉄砲の1/3が日本で生産されていた。戦国時代の後半は、武士にとってもすでに刀は飾り物で、戦場では実際にはほとんど使われていない。そして銃砲をつかった戦法は世界最先端にあり、フランスよりも10年進んでいた。

仮にスペイン軍やポルトガル軍が上陸したとしても、あっさり返り討ちされたことだろう。

日本は軍事力だけでなく、統治力もまた盤石であった。そうではなかった国々はやがて西欧各国の植民地という運命を辿ってしまった。

それから数百年が過ぎ、ポルトガル人やスペイン人の世界制覇の夢は、遠い昔に潰えた夢となった。ポルトガルは海外植民地をすべて失った。いまのポルトガル人やスペイン人のどこを見てもそんな大それた夢を見た人たちの子孫とは思えない。 世界史の登場人物たちはダイナミックに動き、そしていつの間にか退場していくのだなあ。と感心しつつ帰国の途につくのであった。

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