平和を愛する諸国民とはいったい誰のことなのだろう?

雑記

日本国憲法の前文には、次のように重要なことが書かれている。

日本国民は、恒久の平和を念願し、
平和を愛する中国・北朝鮮・韓国・ロシアの
公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。

もちろん、本当は「中国・北朝鮮・韓国・ロシア」という国名は書かれておらず、そこには「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と書いてある。

ではその平和を愛する諸国民 peace-loving peoplesとは一体誰のことだろうか。通説では、1945年6月にサンフランシスコで調印された国連憲章第4条によりUnited Nations(連合国、のちの国連加盟国)を指しているそうだ。

しかし、その書き方は観念的で、具体的なイメージがつかみにくい。何より日本国民の決意を語っているのなら、まずは日本周辺の諸国をあげるべきだ。そこで具体的な国名として「中国・北朝鮮・韓国・ロシア」と記してみた。

日本の周囲には他にもいろんな国があるのだが「平和なタイやマレーシアの公正と信義に信頼して」ではしっくりしない。やはりまずは近隣4ヵ国「中国・北朝鮮・韓国・ロシア」をあげるのが適当だろう。

日本国周辺の地図

日本国憲法が交付されたのは、国連憲章の調印・発効の翌年の1946年だ。

この年、実はまだ「中国・北朝鮮・韓国・ロシア」のいずれの国家も存在していなかった。中国は、共産党が統治する中華人民共和国ではなく、中華民国という別の国家だった。現在の台湾である。略称の「中国」が同じだからか混同しやすいが、気をつけたいポイントだ。

朝鮮半島は1945年8月まで日本国内だった地域。その後は米軍とソ連軍に分割占領された。そして当時のアメリカ政府は、朝鮮人には国家を運営する能力がないという理由で独立を認めず、サイパンのように米国保護領とする方針をとっていた。

これは戦前の国際法(万国公法)の見地からすれば当たり前で、日本と朝鮮が合邦した際に国際社会からまったく異論がなかったことで分かるように、この当時、朝鮮人は自立能力がない民族と国際社会に認定されていた。

その後、冷戦初期の混乱状態から、韓国と北朝鮮はナリユキで1948年にそれぞれ独立国となった。韓国人はそれを喜んでもいい筈だが、ナリユキで成立したという冴えない歴史がコンプレックスになって鬱屈し、それが絶え間ない日本の悪口というかたちで現れていて、とてもではないが公正と信義を信頼できる国民ではない。

戦後の日本にとって最も脅威だったのはソビエト連邦だ。60万人以上の日本人をシベリアで強制労働させ、多くを寒さと飢えのなかで死なせていた。同時に北海道の割譲を要求し、日本に内乱を起こすべく共産主義者の活動員を国内各地に送り込んでいた。そもそも戦前の日本が大陸侵略を始めたのはソ連の武力進出に対応するためだ(それのみではないが要因のひとつ)。このような国に私たちが公正と信義をおけるわけがない。

平和を愛する諸国民とは誰のことか

中国・北朝鮮・韓国・ソ連に信義がおけないとするなら、アメリカが作った日本国憲法前文に謳われる「平和を愛する諸国民」はほかに一体誰をいうのだろうか。当時の中国は内戦中で平和ではないし、他のアジア地域はいまだ欧米の植民地だから国連加盟国ですらない。

答えは簡単、アメリカが作った憲法前文でいう「平和を愛する諸国民」とはアメリカ人のことだ。

この時代のアメリカは、第二次大戦の当事国のうち唯一国内が戦火にさらされなかったので、他の国々が疲弊するなか、圧倒的な力で世界に君臨しようとしていた。当時の世界のGDPの70%はアメリカ一国が占めていたほどである。そして現在でもそうだが、一般のアメリカ人が “World" というときはアメリカ以外の国が入っていないものだ。

日本国憲法前文にはそんなアメリカの世界観が反映されている。

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生存権とはなにか

次に、私たちが平和を愛する諸国民にゆだねる生存権とは具体的になにをいうのだろうか。英語のWikiには次のように記されている。

Right to life is the belief that a being has the right to live and, in particular, should not be killed by another entity including government.

一方、日本語ではというと、日弁連のWebサイトには次のように記されている。

憲法第25条は、すべての国民に対し健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障し、国はすべての生活部面について社会福祉・社旗保障及び公衆衛生の向上と増進に努めなければならないと規定している。

世界基準と日本の法学者とで、生存権の定義があまりにも違うことに驚かずにはいられない。世界基準(英語のWiki)では誰にも殺されない権利だが、日本では健康で文化的な最低限度の生活を営む権利なのだ。

日本基準でいう生存権が重要なことは疑いない。しかしそれのみでは複雑な国際環境を考慮していないとしか受けとれない。世界の現実を見ていないから、あのようなのんきな憲法前文ができあがるのだろう。

時代とともに国際情勢は変わる

第二次世界大戦が終わって数年後、大陸では中華民国が崩壊し、共産党が支配する中華人民共和国がとなって人々を圧迫した。毛沢東は、大躍進運動と文化大革命という政治経済の混乱を起こし、それらを合わせて推定9000万人以上の中国人が死亡または行方不明になった。

独立国だったチベットは武力併合され、総人口600万人しかいないのに現在までにのべ200万人が虐殺された。中国はこれを「チベットの平和解放」と呼んでいる。

中国共産党は、自分がおこした非道には知らん顔をして、日本を悪者にしたてて反日活動を展開している。そうしないと共産党が真の悪者ということが人民にばれてしまうからだ。もっとも、本当は人民たちもそれを知っているが口にすることができない社会体制なのだが。日本のマスコミは知っていて知らない振りをしている。

更に中国は21世紀になってからはフィリピンやベトナムから奪った南シナ海の珊瑚礁に軍事基地を建設して、周辺海洋諸国を圧迫している。また東シナ海では日本に対し尖閣列島のみならず沖縄の主権を主張し始めている。中国はこれを「平和的台頭」と呼んでいる。

この「口だけ平和な国」に対話は通じない。平和を口にしながら、相手が弱いとみれば武力に訴える。中国共産党はそういう相手だ。

日本の安全と生存を何処にゆだねたらよいか

北朝鮮は国民を飢餓状態においているばかりか、政府高官を高射砲につめて爆殺したり、日本に工作員を上陸させて何百人も誘拐したりと、およそ平和的な国ではない。

日本の拉致被害者は公式には17人だが、特定失踪者という名称で呼ばれる非公式の拉致被害者は数百人にのぼっている。最後の拉致事件は2003年(小泉訪朝の直前)におきたとされるから、意外なほど最近のことだ。

この日本に、北朝鮮の特殊部隊員が上陸して通行人をさらっていくは、物語ではなく事実なのだ。拉致された人たちは、日本人であっても日本国憲法の枠外に置かれている。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」もないし「殺されない権利」もない。怖ろしいことだ。

にもかかわらずマスコミはこれを積極的に報道しないばかりか、2003年以前は「北朝鮮が日本人を拉致しているらしい」となどと口にしようものなら進歩的なヒトから「右翼で反平和で好戦的などうしようもない人」扱いされた。マスコミのダブルスタンダードがよく分かる。この流れを変えた小泉元首相はこの点において歴史的な役割を果たしたといえる。

それからロシアは親日的な人が多いのだが、だからといって領土や貿易で紳士的な態度をとってくれるわけでもない。昨年のクリミア半島で、戦後のヨーロッパで始めて軍事行動によって国境線が変更されるという大事件がおきた。西側諸国からみれば軍事侵略だが、ロシアからみれば正当な行動だ。この意識の差は対話では埋まらない。

日本の周辺にある国はいずれも公正と信義がある国ではないし、信頼できる国でもない。これが西ヨーロッパだったら、ドイツはフランスやオランダなど文明と理性において共通の価値観を有する国々に囲まれている。しかし日本はそういう環境にない。

中国・北朝鮮・韓国・ロシアが周辺国だ。太平洋を挟んでの隣国アメリカは、周辺4カ国よりずっとましだが、イラク戦争の経緯をみても明らかなように必ずしも公正と信義を貫く国でもない。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という憲法前文の一節はやっぱりおかしい。

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Posted by ariga masahiro